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今回は黒柳徹子さんについて調べました!

結婚歴についてや過去の恋人相手についてもご紹介します^^

 

黒柳徹子とは?

黒柳 徹子(くろやなぎ てつこ、1933年(昭和8年)8月9日- )は、日本の女優、タレント、声優、司会者、エッセイスト、ユニセフ親善大使、平和運動家である。愛称はトットちゃんチャック

日本でのテレビ誕生と同時に生まれたテレビタレントの先駆けとして、長年に亘り第一線で活躍し、現在に至るまで唯一テレビ番組のレギュラーを継続して持ち続ける、テレビ放送史を代表する芸能人の1人である。現在、同一司会者によるトーク番組の最多放送世界記録保持者として、記録更新中である。

テレビ朝日『徹子の部屋』の司会や、累計800万部を記録し、戦後最大のベストセラーとなっている『窓ぎわのトットちゃん』の著者、ユニセフ親善大使として知られる。所属事務所は(有)吉田名保美事務所。

司会者としてとっても有名ですよね~^^

同一司会者によるトーク番組の最多放送世界記録保持者、

ですから世界に誇る司会者です♪

そして自身の番組「徹子の部屋」を知らない人はいないはず!!

る~るる♪と頭の中で音楽が聞こえてくるようなきがします。笑

 

 

生い立ち

黒柳さんの生い立ちです。

東京府東京市赤坂区(現・東京都港区)乃木坂に生まれ、大森区(現・大田区)北千束町で育つ。名前は、両親が男の子が生まれると思い「徹」という名前を考えていたのだが、実際には女の子を出産したため「子」をつけて「徹子」とした。また、「黒柳」とサインを書くときには柳の異体字である「栁」(木偏に夘)を使う。

本当は男の子の予定が女の子が生まれて「徹子」・・・。

今考えると少しびっくりですが、

黒柳さんには「徹子」という名前以外考えられないですね!!

みんなに覚えてもらえる素敵な名前です^^

父は音楽家で、NHK交響楽団のコンサートマスターも務めたヴァイオリニストの黒柳守綱(旧姓田口)、母は声楽家でエッセイストの黒柳朝(旧姓門山)。弟には幼くして亡くなった黒柳明兒、ヴァイオリニストの黒柳紀明、妹にはバレリーナでエッセイストの黒柳眞理がいる。また、伯父には松竹蒲田撮影所の初代所長の田口桜村や、日本ニュースのニューヨーク支社長やアメリカ・メトロニュースの極東代表を務めた田口修治がいる。

お父様は音楽家、お母さまは声楽家、

兄弟も音楽をやったりバレリーナ・・・。凄い家族!!

伯父にはニューヨーク支社長がいたりと凄いですね。

まるでドラマに出てくるお金持ちの家の設定みたいです・・・。

庶民から想像しづらい家族像ですね^^;笑

幼少期は「問題児」とされたため、尋常小学校(現: 公立小学校)を1年生の時に退学させられ、トモエ学園1年生に転校する。第二次世界大戦中、東京大空襲をきっかけに、以前に北海道の母の実家から帰る汽車で青森の農家と隣り合わせた縁で青森県三戸郡(現・南部町)の諏訪ノ平に疎開する。

なぜ「問題児」とされていたんでしょうか?

不思議ちゃんだったのかな・・・?

戦争を経験している貴重な人ですね。

現代からすると想像もつかない時代です。

トモエ学園、香蘭女学校、東洋音楽学校(現:東京音楽大学)声楽科卒業。慶應義塾大学文学部に聴講生として学ぶ。卒業後オペラ歌手にはなれないと分かり、「自分の子どもに人形劇や絵本の読み聞かせを上手にできるお母さんになろう」と思い立って、「ひょっとしたら絵本の読み方も教えてくれるかもしれない」と新聞で見かけたNHK放送劇団の俳優募集の広告に応募、約6,000人の応募者の中から第6次までの審査を経て13人の劇団員の1人として選ばれる。

黒柳さん自身もお母さまと同じ声楽をやっていたんですね^^

それでもオペラ歌手の道は諦め、

読み聞かせのNHK放送劇団員になったのこと。

NHK放送劇団員に選ばれたからこそ、

皆が知っている黒柳さんになったんですね~^^

 

タレントとしての経歴

黒柳さんの経歴です。

1976年にはテレビ朝日で自身の冠番組『徹子の部屋』が開始。長寿番組となっている。2011年4月27日放送分(35周年記念SP第2弾『出張!徹子の部屋』)を以って放送8961回を迎え、「同一の司会者による番組の最多放送回数記録」としてギネス世界記録に認定された。2015年5月27日には放送回数が通算10000回となり、上記の「同一の司会者による番組の最多放送回数記録」を自ら更新し、再びギネス世界記録を受賞した。1995年には「橋田賞」を、1997年には「第23回放送文化基金賞」を受賞している。2006年には黒柳と『徹子の部屋』が第54回菊池寛賞を受賞した。受賞理由は「30年間休むことなく良質な対談番組を送り続けている努力」に対してである。

これは本当に凄いですよね~!!

2015年の時点で1万回の放送回数!

これからも元気な黒柳さんの活躍が見たいですね^^

『徹子の部屋』開始と同じ1976年には、「主婦の選んだテレビパーソナリティーNO.1」に初めて選出され、1989年まで14年連続で選出された。

14年連続でナンバーワンを選出されるのは、

黒柳さんの司会の実力があるからですね^^

1978年からは、最高視聴率41.9%を記録する大ヒットになったTBSの音楽番組『ザ・ベストテン』が放送を開始し、黒柳は初回から1989年の最終回まで司会を務めた(なお、初期からコンビを組んでいた久米宏は1985年で降板した)。1978年度の日本女性放送者懇談会賞を受賞する。

昔にやっていた音楽番組ですね~。

若い子は知らない人が多いかもしれませんが、

伝説が生まれる音楽番組でした^^

1970年代には『音楽の広場』『おしゃべりオーケストラ』などのNHKクラシック音楽番組の司会も大きな比重を占めた。ユーモラスな早口は同種番組としては異色だったが、芥川也寸志、尾高忠明らソフトな語り口の専門家たちとのコンビネーションも好評で、賑々しいが訊き上手でもあるというのお茶の間イメージを定着させている。

家族が音楽家が多かったからでしょうか?

異色な司会がまた受けがよかったんでしょうね~^^

1981年、自身の著書『窓ぎわのトットちゃん』が出版された。単行本・文庫本を合わせて累計800万部を発行し、世界35カ国で翻訳された。累計770万部という発行部数は、日本国内において「戦後最大のベストセラー」となり、「トットちゃんブーム」が起こった。また、黒柳は同作で、「第5回路傍の石文学賞」やポーランドの文学賞「ヤヌシュ・コルチャック賞」などを受賞した。

この「トットちゃんブーム」は本当にすごかったらしいですね^^

世界35か国で翻訳される本なんで本当に素晴らしいです♪

2017年にはこれまでの活躍が評価されて名誉都民に選ばれる。以後もテレビ番組『徹子の部屋』と『世界・ふしぎ発見!』にレギュラー出演するほか、声優や女優、司会者、国際連合児童基金の親善大使として幅広く活躍している。また、ほぼ毎年舞台に立ち続けている。

現在もなお、レギュラー番組や他にもいろいろと頑張っているんですね。

これからもあの癖になる黒柳さんのキャラクターを見ていたいです^^

 

結婚歴なしの理由

これはここ最近話題になったお話ですよね~。

黒柳さんは切ない恋愛をしていたようです。

30歳近くまでは数多くの恋愛をしていたようですが・・・。

しかし、タイミングが合わないことから、結婚までには至らなかったとのこと。黒柳は、過去には外国人男性と、年に1、2度ほどしか会えない遠距離恋愛を40年続いたと告白していた。その恋人が亡くなってしまい、結婚のタイミングを失ってしまったようだ。

そして、学生たちに「結婚するとかしないとかじゃなく、良い恋愛をしてほしい」と語った黒柳。「良い恋愛をすると、別れても、その人が死んでも、いつまでも生きていくことができる」と自身の経験を振り返った。

さらに「私みたいに変なっぽい人を、変なっぽい人と思わないで見てくれた」と、過去に自分を愛していてくれた人たちがいたことを伝え、学生たちにエールを送った。

40年の遠距離恋愛・・・。

私だったらできないし、想像もつきません!笑

結婚にこだわりすぎないことも大事ですが、

黒柳さんも言っている通りいい恋愛をすることは大事ですよね。

これもまた、美しい恋愛の在り方なんでしょう。

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過去の恋人相手は外国人!?

40年もの間、遠距離恋愛をしてきた黒柳さんですが、

その相手はなんと外国人のピアニストという噂・・・。

そしてその方の情報が色々と出回っているので、

詳しくご紹介したいと思います!!

 

ワイセンベルクとは?

その40年間遠距離恋愛をした相手の名前は・・・!!

ブルガリアのピアニスト

アレクシス・ワイセンベルク(Alexis Weissenberg)

(1929年~2012年)

 

一体どんな方なんでしょうか!?

黒柳徹子さんの元恋人の本名は、

アレクシス・ワイセンベルクと言います。

1929年にブルガリアのソフィアで生まれました。

10代からその才能を発揮し、14歳の時にピアニストとしてデビューしました。

しかし、ユダヤ系だったこと、ブルガリアがドイツの同盟国だったこともあり、

1944年、15歳の時にワイセンベルクさんは収容所に収容されます。

その後、イギリス空軍の爆撃の混乱をきっかけとして、トルコまで脱出することに成功したそうです。

戦後、イスラエルを経由して、アメリカに渡り、ピアニストとしてジュリアードに入学しました。

このジュリアードとは、現在世界で最も優秀な音楽大学の一つとしてものすごく有名な学校。

ここでオーストリア出身シュナーベルという人の元で学びます。

アメリカに渡ってからもその才能は健在で、

1947年、ワイセンベルクさん18歳の時にピアニストとして国際音楽コンクールで優勝しました。

しかし1956年、ワイセンベルクさんが27歳のとき、自分の音楽を見つめ直すためにピアニストの演奏活動を中止。

10年後、ワイセンベルクさんが37歳のときに、演奏活動を開始し、一流のピアニストとして活躍します。

黒柳徹子さんが30歳頃にワイセンベルクさんと出会ったと語っていることから、

黒柳徹子さんと恋人関係になったのはこのあたりでしょうか?

その後、1972年、ワイセンベルクさん43歳のとき、祖国のブルガリアに帰国。政府から名誉市民権が与えられました。

2012年、ワイセンベルクさん82歳のとき、スイスにて長期間の闘病生活の末になくなったそうです。

音楽家として立派な生涯を送ったんですね。

ワイセンベルクさんは、

ピアニストとしても優秀であり、

オーケストラとの演奏や有名な指揮者との共演もしていました。

そして最後は「パーキンソン病」という、

脳腫瘍の病気になり亡くなったそうです。

 

詳しい恋人関係

黒柳さんとワイセンベルクさんの関係性をご紹介します。

黒柳徹子さんとピアニスト・ワイセンベルクさんの関係については、

黒柳徹子さん本人がテレビで語っています。

その番組によると、

● 黒柳徹子さんとピアニスト・ワイセンベルクさんの関係は40年以上続いていたこと。

● 黒柳徹子さんが年に1回か2回、ピアニスト・ワイセンベルクさんに会いに行っていたこと。

● 黒柳徹子さんが仕事をやめたくなかったため、恋人止まりであったこと。

などが赤裸々に語られました。

また番組で結婚について聞かれた際には、

「(ピアニスト・ワイセンベルクさんとは)結婚していませんでした。とても残念なことです。」

とコメント。

やっぱり黒柳徹子さんとピアニスト・ワイセンベルクさんの関係は恋人止まりだったと

黒柳徹子さん本人が語ってくれていました。

2012年になくなったピアニスト・ワイセンベルクさん。

その後、黒柳徹子さんは新しい恋人がいないらしいです。

赤裸々にワイセンベルクさんとの関係を語っていたんですね~。

40年も恋愛をした後じゃ、その後の恋愛なんて考えられないですよね。

 

ゆうすけとは?

どうやら「トットちゃん」に出てくるキャラクターのようです。

黒柳徹子さんがモデルになっている、テレビ番組「トットちゃん」にピアニストの恋人が現れましたね。このカール祐介ケルナーさんは実在するのかしら?

カール祐介ケルナー・・・。

実在するのか調べてみました!!

徹子さんが40年間もの永い間お付き合いしていたと噂されている男性がいらっしゃいます。その方の名前は、アレクシス・ジギスムント・ワイセンベルクさんです。ブルガリア人です。

モデルはやっぱり!!ワイセンベルクさんでした~!!

ワイセンベルクさんのお話は「トットちゃん」から噂になったものですから、

実在する方だったんですね^^

自分の本に出すほど本当に好きだったんですね~。

こんなに誰かを思い続ける黒柳さんは素敵ですね^^

これからもそんな素敵な黒柳さんのエピソードが聞きたいです♪

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