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今回は黒柳徹子さんについて調べました!

黒柳さんのお父様の戦争に行った時のエピソードや、

家族についてもご紹介します^^

 

黒柳徹子とは?

黒柳 徹子(くろやなぎ てつこ、1933年(昭和8年)8月9日- )は、日本の女優、タレント、声優、司会者、エッセイスト、ユニセフ親善大使、平和運動家である。愛称はトットちゃんチャック

日本でのテレビ誕生と同時に生まれたテレビタレントの先駆けとして、長年に亘り第一線で活躍し、現在に至るまで唯一テレビ番組のレギュラーを継続して持ち続ける、テレビ放送史を代表する芸能人の1人である。現在、同一司会者によるトーク番組の最多放送世界記録保持者として、記録更新中である。

テレビ朝日『徹子の部屋』の司会や、累計800万部を記録し、戦後最大のベストセラーとなっている『窓ぎわのトットちゃん』の著者、ユニセフ親善大使として知られる。所属事務所は(有)吉田名保美事務所。

黒柳さんといえばタマネギヘアーですよね^^笑

女優やタレント、声優としても活躍していますが一番は司会業が素晴らしいです。

今も元気に色々な番組に出演しています。

 

ユニセフ親善大使として

黒柳さんは社会貢献活動や福祉活動を行っています。

芸能活動以外にも、国際連合傘下のUNICEF(ユニセフ、国際連合児童基金)親善大使としての活動が特に知られる。親善大使には1984年アジアの人物として初めて就任し、その後最古参のメンバーになった。当時のユニセフ事務局長ジェームス・グラントは、任命理由として黒柳の子どもへの愛と、障害を持つ人々や環境への黒柳の広範囲な活動と実績を挙げている。以後、アフリカ、アジアなどの途上国を毎年欠かさず訪問し、現在までの訪問国数は30ヶ国に上る。親善大使としての活動に対して、ユニセフからは、1985年に「第1回ユニセフこども生存賞」、2000年に「第1回ユニセフ子どものためのリーダシップ賞」を受賞。また日本政府からは、2003年に勲三等瑞宝章(現:瑞宝中綬章)を授与された。

芸能活動以外にも親善大使として色々な活動をしているんですね~!

そしてアジア人では初めて就任!素晴らしいことですね^^

ユニセフからも受賞され、日本政府からも瑞宝中綬章を授与!

これからも親善大使として頑張ってほしいですね♪

黒柳がユニセフ親善大使に就任することになったきっかけは、当時ユニセフ事務局長だったジェームス・グラントが『窓ぎわのトットちゃん』を緒方貞子の紹介により読んだことである。

親善大使になったきっかけは「トットちゃん」だったんですね~。

大ヒットした本だとしても凄いことですよね!!

これらの視察の模様は日本国内や視察した国々の中で広く報道され、2002年に黒柳がアフガニスタンとソマリアを訪問した際には、同行した日本のTVチームによって、視察の様子を撮影した90分間のドキュメンタリー番組が2本放送された。また、テレビ朝日『ニュースステーション』でも視察報告を行い、広範囲に亘る黒柳の現地視察は、他の報道番組や『徹子の部屋』、多数の新聞や雑誌の記事の中で伝えられている。黒柳の活動が広く報道されたことでアフガニスタンやソマリアにおける子どもと母親を支援するための資金提供を呼びかけることにもつながった。

 

視察の模様が報道されたおかげで資金提供も増えたんですね~。

これからもこういった報道が増えて、

困った人や国を助けてあげる機会が増えるといいですね^^

黒柳は個人で募金活動を行っており、黒柳のもとへ寄せられた募金総額は2014年現在50億円以上に上る。黒柳のもとへ寄せられた募金は事務費用などには一切使われず、100%がユニセフの本部へ送られ、子どものために使われている。

2014年で50億円以上!!凄いですね~。

もちろん100%ユニセフに送られているとわかっていますが、

黒柳さんの影響力の凄さがわかりますね。

1997年にユニセフの政府拠出金が削られそうになった時、黒柳は親善大使として自ら新聞に投書して政府拠出金の維持を訴えかけた。黒柳の投書を読んで当時外務大臣だった小渕恵三が黒柳に直接電話し、「今日予算のことなんで、ユニセフのために頑張るからね」と話した。そして、黒柳の尽力もあってその年はユニセフの政府拠出金は削られなかった。

黒柳さんの尽力もあり、ユニセフの政府拠出金が削られなかったのは、

本当に凄いですね!!

「トットちゃん」がどれほどすごい本なのかわかりますね^^

2001年、黒柳が「朝日社会福祉賞」を受賞した。受賞理由は「ユニセフ親善大使として活躍し、『トット基金』を通じてろう者の社会参加も支援した功績」である。

これからも黒柳さん以上に貢献できる人はいるのか?

と思ってしまいますよね^^笑

 

旱魃・内戦・殺戮・地雷がある状況で、「なぜそこまでして行くのか? 怖いとかためらうとかの気持ちはないのか」との質問に、「ユニセフ親善大使として少しでも皆様に知ってもらう。(だから)あまり大変と思わない。何かあったら、その時はその時でね。戦争を通してきた人間って、そういう所が有りますよ。だって、いつ死ぬか分からなかったんですから、小学生の時から。飢えた事も親のいない寂しさも(疎開経験で)分かり合えますから」といい、やってあげる支援ではなく、トモエ学園の「皆、一緒に行う」の思想がユニセフ活動のもとになっていると答えていた。

ちなみに、ユニセフ親善大使としての黒柳への年間報酬は、1米ドルである。

黒柳さんの芯の強さみたいなものは、

幼いころに疎開経験をしていたからなんでしょう。

現代では貴重な経験をした方だからこそ、

このユニセフ活動で多大な影響を与えたんでしょうね~。

 

黒柳徹子伝説!!

黒柳さんの伝説をご紹介します。

 

・雑誌an・anの名付け親!

まさかの黒柳さんが名づけ親だったんですね~。

an・anにはパンダの絵があります。

日本パンダ保護協会の名誉会長でもある黒柳さんが、

パンダの名前からとって「an・an」になったそうです。

 

・日本初のNHKテレビ女優!

これもビックリですよね~!

黒柳さんは女優希望ではなく、

読み聞かせをする人になりたかったそうですが、

たまたまNHKが読み聞かせの女優を応募していたそうです。

そこでオーディションを受けてみたら受かったのこと。

凄いですね~^^

 

・80代だけどインスタグラム使いまくり!?

黒柳さんはスマホで長文の文章を考えインスタにアップしているそうです。

写真ももちろんたくさん撮っているそうです。

80代でスマホを使いこなすのは凄いですね~。

文を書くのはやっぱり才能があるんでしょうね^^

 

父親

黒柳さんのお父様についてご紹介します。

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黒柳 守綱(くろやなぎ もりつな、1908年6月20日 – 1983年4月30日)は日本のヴァイオリン奏者。

この時代はヴァイオリン奏者でも戦争に行ったんですね~。

音楽一家としても有名ですね^^

東京放送管弦楽団に属していたが、1944年に召集されて満州に出征し、敗戦後にソ連に抑留される(シベリア抑留)。シベリアで抑留中である旨が新聞紙上で報じられるも、シベリアに留め置かれ、同じく抑留されていた合唱指揮者の北川剛、チェリストの井上頼豊らとともに「沿海州楽劇団」としてハバロフスク地方沿海部の日本軍捕虜収容所の巡回・慰問にあたる。1949年末に帰還し、東京交響楽団のコンサートマスターに就任。

ヴァイオリニストとしてとても活躍していた中、

戦争で満州に出征していたんですね。

それでも帰還することができて本当に良かったです。

 

戦争に行った時の言葉

 

調べてみると、お父様が戦争に行った時のセリフは見つかりませんでした。

ですが「トットちゃん」で戦争の話があるので、

そのセリフがお父様が言った言葉だったり、

兵隊さんが言った言葉だったのでしょう。

貴重な体験を残している本なので、是非読んでみましょう^^

 

母親

お母様についてご紹介します。

黒柳 朝(くろやなぎ ちょう、1910年9月6日 – 2006年8月16日)は、日本の随筆家である。

音楽教師の勧めにより、1927年に上京し東洋音楽学校(現・東京音楽大学)声楽科入学在学中にベートーヴェンの『第九交響曲』の演奏会を共にして知り合った新交響楽団(NHK交響楽団の前身)の首席ヴァイオリン奏者・黒柳守綱と結婚し、アパート「乃木坂クラブ」で新婚生活を始める。長男が敗血症で死亡。

朝さんは声楽家だったそうです。

長男が敗血症でなくなったのは本当にショックだったでしょうね・・・。

 

弟さんについてご紹介します。

黒柳 紀明(くろやなぎ のりあき、1940年 – )は日本のヴァイオリン奏者。

1964年、ベルリン芸術大学留学。ケルン、ロッテルダムを経て、1971年にNHK交響楽団入団。2000年に退団した後、宇宿允人率いるフロイデフィルハーモニーで第二ヴァイオリンのトップを務めている。2006年10月に東京芸術劇場で開催される第165回「宇宿允人の世界」ではヴィオラで出演した。

弟さんもお父様と同じヴァイオリン奏者だったんですね~。

そしてヴィオラもできるなんて凄い!!

 

妹さんについてご紹介します。

黒柳眞理(くろやなぎ まり、1944年4月19日 – )は、東京都出身の元バレリーナ、エッセイスト、美容家。

札幌市在住。小牧正英のもと幼少時からバレエに取り組み、チャイコフスキー記念東京バレエ学校に学ぶ。バレエに傾倒するあまり香蘭女学校は中退した。その後、ボリショイ・レニングラードバレエ団に入団しプロバレリーナとして活躍。しかし、19歳の時、足首の捻挫に見舞われ、やむなく退団。慶応野球部だった井石礼司と慶大のパーティで知り合い、20歳で結婚し二人の子をもうけたが、39歳で離婚。その後、美容学校に入学し美容師免許を取得し、美容家に転身。また、在住する北海道のテレビ番組でコメンテーターとして出演している。

妹さんはバレリーナや色々な活動をしているんですね^^

黒柳さんに似たんでしょうか?

現在はコメンテーターもやっているそうです。

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